白川夜船は、自分が嫌いだった。
ひとつは名前。
同級生には常に詰られる材料となった。
幼い時分は意味を知らないまでも
然し摘み出す為の素材を見つけるのに
彼らの鼻は犬などより余程きいた。
ひとつは家庭。
美しく要領の良い姉、スポーツ万能な兄
単身赴任の続く父の存在は薄く
それ故家に依存した母は姉と兄を溺愛し
要領の悪い末子の夜船を塵のように扱った。
姉と兄も母に習い、「そう扱ってもいいもの」として
日々の退屈凌ぎに階段から突き落とされるような生活だった。
それが口惜しく、また覆すだけの才も無い自らを心底呪った。
然し負けじと唯一縋り付いた学問は
執念を以て徐々に成績を押し上げ
何とか夜船を生かすに足る成果とプライド
僅かな居場所を得るまでになった。
やがて名の在る大学を経て、漸く家との決別も見え始めた頃
訪れたのは、ずっと俄かに予想が付いていた不幸。
父の浮気と、離婚を告げる電話だった。
けれどそんな、在り来りでチープな家庭の崩壊は
有り得ない力でもって訪れた。
ある夜のそんな報せに崩れ落ちた
母の容貌が突然変貌した。
伸びる犬歯、赤く濁る瞳、筋すら透ける肌の白。
纏う空気の色すら変わって見えるその異形化に
息も忘れて愕いていたのも束の間
同じような唐突さで、傍にいた姉兄までもが
絶叫と共に母と似た変貌を遂げだした。
何が起こっているのか。
常軌を逸した事態に思考を手放しかけたとき
何かが割れる音と共に、数人の人間が家へと雪崩れ込んだ。
そうして、
映画でしか見たことがない
特殊効果を盛り込んだ様な戦闘が繰り広げられ
見知らぬ人の背に庇われながら
恐らく母であろう生き物の、右半身と左半身が分たれる様を
夜船はただぼんやりと、眺めていた。
3人の死体と、1人の逃亡者を出しながら
事態は何とか収束の形を見せた。
一先ずは助けられた、ということになるのだろう。
母らを切り伏せた面々は放心する夜船に
ゆっくりと、噛み含める様に事情を説明しだした。
正直、殆どは耳に入らなかったが
僅かに留めた情報は
あれは闇堕ちという
人が絶望すると稀に起こる事態で。
彼女が堕ちた先は、ヴァンパイア。
闇堕ちを感染させる厄介な種族で
――それは、堕ちた者が愛する人を、巻き込むという。
がりりと、音を立てて何かを砕いた。
……――
ずっとわかっていた、しっていた。
でも、それでも、もしかしたらと。
気付かず身内に抱いていた、たった一つが
――どろりと溶け出て、あかい一筋を頬に成した。
“生み出すものは 全てが赦される”